CRIMSON/GANG's blog @SailGP

「既存の選択肢にとらわれない方法を示す」を理念に活動するRowing Teamです。CEO:Yuki Kasatani

当事者として考える、アスリートのセカンドキャリア問題を無くす方法

「年末年始、何かしらブログ書きますね」と言ってようやく書いた久しぶりの記事。

いろいろテーマはあるのだが、アスリート関連で書いてみようと思う。

プロ野球戦力外通告・クビを宣告された男達」という番組をご存知だろうか。
厳しいプロ野球の世界で必死に生き残りをかけて戦う選手たちのドキュメンタリー番組だ。

 

この番組、昔は「プロスポーツ選手という職業は、ハイリスクハイリターンなんだな」と他人事で観ていた。

 

ところがどうか。30歳を超えるスポーツ選手となった今の自分にとっては、なかなか他人事として観ることはできない番組である。

 

プロスポーツの世界は競争が厳しいからこそ人材の質の高さが保たれ、魅力が際立つ。

「競技、頑張ってね!」と応援してくれている人たちの期待に応えるのは気持ちいいが、そういう人たちが生活を保障してくれるわけではない。そして、他の職業に比べて早いタイミングで引退を迎える人も多い。

 

「アスリートのセカンドキャリア」

オリンピックのタイミングなどでちらほら話題になるが、当事者としてこの問題を考えてみたい。



一般的に、アスリートのセカンドキャリア問題というと、「職」「プライド・アイデンティティ」の大きく2つに大別されるようだ。

「職」というのは、競技成績を残すことに特化してリソースを割いてきたことで、今まで築いてきたスキル・経験が引退後は通用せず、職探しに苦労するということらしい。

 

「プライド・アイデンティティ」というのは、選手時代に得てきた名声・評価を失ったり、引退後に「競技者」というアイデンティティを失ってしまったりして、人生に対する前向きな展望を無くしてしまうというものらしい。

 

他にもいろいろあるのかもしれないけど、大きくは上記で外れていないと思う。

さて、これに対して31歳の現役スポーツ選手である自分が感じるのは「アスリート固有の問題ではない」ということだ。

アスリートが直面しやすい問題ではあるだろう。

「スポーツの舞台はオリンピックのような大舞台が用意されており、周囲が応援してくれる環境が整っていて、辞めづらい」
「競技をしていた当時はちやほやしていた人たちが、引退後は手のひらを返したように見向きしなくなって人間不信になってしまう」

「引退後に職が見つからないことで、家族の生活を支えるのがとても厳しい」


個々人の状況は様々で、中には自殺に至る人もいるかもしれない。

 

自分は「それでもいい」なんて言うつもりはないが、アスリートだけが直面する問題ではないと感じている。

パチンコやスマホソーシャルゲームにハマっている人も、芸能活動を長く続けている人も、定年後のサラリーマンも同じような状況に陥るかもしれない。


 一流と呼ばれる大学を出て、有名な大企業で順調に出世し、家族にも恵まれるような人でも、「自分は何者にもなれていない。残りの人生を今の延長線上で生きるのが辛い」なんて悩みを持つ場合もある。

 

そう考えると、アスリート固有の問題ではなく、「各人が自分の人生をいかに歩んでいくか」という問題に帰結する。

 

表に出すかどうかはともかく、多かれ少なかれ人生に悩みを持って生きている人は多いだろう。なにもアスリートが特別なわけではない。 

 

「自分の人生を生きる」という覚悟をしてきたかどうかの問題だと思う。


アスリートでいうと、社会で幅広く必要とされるスキル・経験を持たないまま長い年月スポーツに打ち込むということで得られるものと失うもの。そういうものをきちんと考えた上で、それでも「自分の人生はこれだ」と決断してきたのかどうか。

「職探しに困る」という人生が嫌だったら競技者の間に自己研鑽することはできるし、「最悪、生活保護でもOK」であれば、それなりの時間の過ごし方もできる。


「競技で結果を残さないといけない状況に、あえて自分を追い込む」と背水の陣を引くのもありだ(余談だが、ハンターハンターの「制約と誓約」という設定が好きで、それに近い)。

f:id:crimsongang:20201231162508j:plain

f:id:crimsongang:20201231162549j:plain


そういう決断の上であれば、少なくとも「こんなはずじゃなかった」と悩むことは少なくなるだろう(もちろん、良くも悪くも予測していないことが起こるのが人生の醍醐味であるため、完全に思いどおりにはならないのだが)。

自分はオリンピックに出場すらしていないし、有名スポーツ選手として名を馳せているわけではないから、セカンドキャリア問題について想像できない部分も感じ取れない部分も存分にあると思う。

でも、「一流とされる大企業を離れて、スポーツで活躍する」という決断をして、現在スポーツ選手として活動する当事者としての意見は持ち合わせている。

 

「自分の人生をどうしていきたいのか」

「それを達成する手段はどういうものがあるのか」

「その手段の良し悪しは、どのように検証していくのか」

「手段を実行する上で、どういうリスクがあるか。それらのリスクを受け入れられるか」

 

こういうことを自分で考え抜いたり、信頼できる友人・家族と議論することで、セカンドキャリア問題は解決に向かうと思う。

 

そして、そもそも「アスリートのセカンドキャリア問題」というよりは、「各人が自分の人生をいかに歩んでいくか」という問題なんだということに気付けるだろう。